2001/11/14 完成
2001/11/14 公開
Aliquando
〜 名雪の章・下巻 〜
その日の夕焼けも綺麗なまでに緋色だった。
商店街の雑踏の中を制服姿の祐一と名雪が肩を並べて歩いている。
沈みゆく日の光によってできた影法師は長く長く二人の進む道を遮っている。
「祐一は、何か食べたい物でもある?」
商店街の道をキョロキョロ見回しながら名雪が祐一に問いかける。
「とりあえず、食えるもん」
「うー、それじゃ分からないよ」
「じゃぁ、名雪が作れるもん」
「わたしは、祐一が食べたい物だったら何でも作るよ」
そう言って祐一の顔をのぞき込む。
「フランス料理でも?」
「わ。難しいね。でも。うん、がんばるよ」
「がんばるなっ!」
ふぁいとっ、と、軽く拳を握ってガッツポーズを決める名雪の頭に手をやり、髪の毛をかき乱す。
「わっ、わ。女の子の髪を、そんな乱暴にいじるものじゃないよ、祐一」
いじられた髪の毛を手くしで丁寧に梳かしながら、少し頬を膨らませて祐一を見る。
「気にするな」
「気にするよ〜」
そんな、たわいもないやり取りを続けながら二人は商店街で買い物を続ける。
夕飯の食材もあらかた買い終わった頃、名雪が何気なく話しかける。
「そういえば…初めからこうしておけば良かったんだよね」
「ん?何がだ?」
「お買い物だよ。初めから祐一も一緒に、お店までつき合ってくれてたら、商店街の入り口から祐一がいなくなっちゃう事も無かったんだよ」
「うわ。また昔の事を…」
「祐一にとっては昔の事かもしれないけど、わたしにとっては、すごく寂しい事だったんだから」
そう言った名雪の表情は、本当に寂しそうだった。
「あれは…」
祐一は弁明を言いかけて言葉に詰まる。
あれは不可抗力だった…はずだ。と、心の中で呟く。
しかし、その不可抗力の理由までは今の祐一には思い出せない。
「あれは?」
言葉に詰まる祐一を不思議そうに名雪が首を傾げて問い返す。
「いや、なんでもない」
「わっ。余計気になるよ〜」
言って、祐一の袖をぐいぐい引っ張る。
「それよりも、もうそんな事は絶対に無いから安心しろ」
「そんな事って…」
「もう絶対に名雪の前からいなくなったりしないって事だ」
「祐一…もしかして、ものすごく恥ずかしい事、言ってる?」
「うるさい。恥ずかしいのを我慢して言ったんだ。少しは喜べっ!」
そう言って、照れ隠しにそっぽを向く。
「うん。すごく、ものすごく嬉しいよ。祐一」
名雪は柔らかい微笑みで祐一を見つめた。
そんな名雪の笑顔を、そっぽを向きながらも横目で見つめる祐一。
どんな笑顔をしようと、今の名雪の笑顔が本当の笑顔でない事は祐一が一番よく知っていた。
また、それを知りながら何も出来ない自分がいる事も。
「あの日の夜にした約束…」
ポツリと呟く祐一。
「え?何?祐一」
「いや、何も言ってない」
顔を赤くした祐一が答えた。
「買い物も終わったんなら、とっとと家に帰るぞ」
そういうやいなや、歩くペースを上げる。
「わっ。祐一。置いてかないでよ〜」
「うん。分かったよ」
「今週の土曜は、朝から家にいるようにしとくから」
「ああ。名雪にもちゃんと言っておくって」
「じゃ、また」
−ッチン−
祐一は受話器をおろすとしばらく居間の電話を見つめていた。
「叔母さん、今週末に家に来るの?」
同じく居間でテレビを見ていた名雪が振り返り、祐一に問う。
「ああ。ついでに親父もな」
「じゃぁ、何か美味しい物でも作っておかなくっちゃね」
何が良いかな、と問いかける名雪の言葉を遮り、祐一は抑揚のない声で問い返す。
「親父達がなんで来るのか…分かっているのか?」
ソファに座った祐一を見つめていた名雪が少し伏し目がちになる。
「…うん。わたし達の今後の事…だよね」
「ああ。親父達としては、この家を引き払って俺達をそのまま引き取るつもりでいるらしい」
「そうなんだ…」
「そうなんだ…って、名雪はそれで良いのか?もうこの家にいられなくなるんだぞ。この街に住めなくなるんだぞっ!」
座り直したソファから立ち上がって声を荒げる。
「祐一は、どうしたいの?」
そんな祐一を見上げ、名雪は冷静に祐一の瞳を見つめる。
「俺は…秋子さんとの思いでが詰まった家を売るのには反対だし、それにこの街から離れるのも嫌だ」
ピクンッ。と、名雪は自分の母親の名前を出された事で、幾分か体を堅くした。
「わたしはね。祐一が思う通りにしてくれたら良いと思うよ」
そう言って、祐一に微笑む。
俺は、名雪がそう思っているだろうと思いこんでいた。もしかしたら逆なのかもしれない。秋子さんとの思い出がありすぎるこの街は、名雪にとってみたら、ただ辛いだけ、悲しいだけなのかもしれない。
そんな事を考えていると、二人の間を沈黙が支配した。
祐一は正直、自分の考えに自信を無くしかけていた。
「名雪は…どうなんだよ?」
それは聞いてはいけない問いかけだったのかもしれない。
「名雪は秋子さんとの思いでの詰まったこの街に…家にいるのが辛いのか?」
また、母親の名前を出された名雪は体を堅くする。
膝の上にかけていた猫のぬいぐるみをギュッと抱きしめ、うつむき加減に言葉を紡ぐ。
「辛いよ…すごく辛いよ…わたし…この家にずっとお母さんと一緒に住んでたんだよ…玄関の下駄箱にも…居間のこのソファにも…台所のお鍋にだって…お母さんとの思い出が…いっぱい…いっぱい…詰まっているんだよ」
そこまで言って一呼吸おく。
ぬいぐるみを抱く力が少しだけ弱まった。
「だけどね…お母さんはいなくなったけど…祐一が一緒にいてくれるから…祐一がいてくれるなら…どこに行ったって笑ってられると思うんだよ…本当は…この家から離れたくないけど…お母さんとの思い出を思い出すたびに辛いけど…けど…それ以上に好きだから…お母さんを好きだから」
最後の言葉は嗚咽混じりで聞き取れなかった。
気が付けば名雪は泣いていた。
微かな笑顔を保ちながら瞳は涙で溢れかえっていた。
「名雪っ」
祐一は衝動的に名雪を抱きしめた。
名雪の頬を伝う涙が祐一の服に伝わり吸い込まれる。
俺はバカだ、大バカだ。祐一は、そう心の中で自分を叱咤した。
「名雪。俺は約束するよ。ずっとこの街にいよう、この家にいよう。俺が名雪の支えになるから。ずっと一緒にこの街で暮らそう」
「わたしはね…祐一がそう思うんだったら、それで良いと思うよ」
そして、いとこの少女は大粒の涙を流しながら笑った。
祐一は知っている。
その笑顔が、まだ本物ではない事を。
でも、いつか、いつか取り戻せると信じている。
いとこであり、
同居人であり、
クラスメートであり、
そして…
恋人である少女に本物の笑顔が戻る事を。
Story END