2002/01/01 完成
2002/01/03 公開
Aliquando
〜 CMだよっ 〜
− 当たり前の様に過ぎゆく日常が −
− 幾つもの奇跡の上に成り立っている事を −
− その冬が来るまで知らなかった −
「祐一。朝は、おはようございます、だよ」
台所から顔だけ出した少女が、包丁を片手に祐一を見つめていた。
「ああ。おはよう」
「うん。おはようございます」
その言葉を聞くと満足をしたのか、少女は顔を引っ込め、リズミカルに包丁を鳴らす。
ふぁいとっ、と、軽く拳を握ってガッツポーズを決める名雪の頭に手をやり、髪の毛をかき乱す。
「わっ、わ。女の子の髪を、そんな乱暴にいじるものじゃないよ、祐一」
いじられた髪の毛を手くしで丁寧に梳かしながら、少し頬を膨らませて祐一を見る。
「気にするな」
「気にするよ〜」
どんな笑顔をしようと、今の名雪の笑顔が本当の笑顔でない事は祐一が一番よく知っていた。
また、それを知りながら何も出来ない自分がいる事も。
「わたしはね。祐一が思う通りにしてくれたら良いと思うよ」
そう言って、祐一に微笑む。
「辛いよ…すごく辛いよ…わたし…この家にずっとお母さんと一緒に住んでたんだよ…玄関の下駄箱にも…居間のこのソファにも…台所のお鍋にだって…お母さんとの思い出が…いっぱい…いっぱい…詰まっているんだよ」
「それ以上に好きだから…お母さんを好きだから」
最後の言葉は嗚咽混じりで聞き取れなかった。
夢の中でさえ、あたしはあの子の笑顔を受け止める事が出来なかった。
「ホントはね。家にいると嫌でもあの子との思い出を振り返ってしまうから、だから…」
それは不意につきでた言葉だったのだろうか。
香里は、どこか寂しげな表情をたたえる。
「あたしも名雪を親友を思っているわよ。でも、名雪だって今が精一杯じゃない。その上、あたしの私情を持ちかけるほど無神経じゃないわっ」
組んでいた腕を広げ、勢いよく言葉を紡ぐ。
まるで、押さえていた感情を一気に吐き出すかのように。
「それでも、あいつは受け止めてくれると思うぞ」
「だからっ!」
なおも言い募ろうとした香里の言葉を遮り、祐一は呟く。
「なぁ、香里。親友ってなんだろうな…」
「あ、こんにちは」
コンビニの前を通りかかった香里は、不意に呼び止められた。
「あなたは確か…」
「一年の天野と申します」
そういって静かにお辞儀をする。
「大切な人を亡くした痛みって、どうしたら消えるのかしらね…」
「私は束の間に奇跡の中にいました。でも、その時は気づかずに、奇跡が終わってから気づいたんです」
香里はただ黙って天野の言葉に耳を傾ける。
「あたしはいったい何をしたいんだろう…」
夕暮れ間近の紅く染まった、ものみの丘で香里は独り呟いた。
ただ冬の冷たい風が香里の白い頬や軽くウェーブのかかった髪を撫でていく。
「名雪、今からちょっと出てこれる?」
受話器を通して聞こえる香里の声に、名雪はいつも以上に抑揚がない様に聞こえた。
「あ、うん。平気だよ。それで、どこに行けば良いの?」
「わたし、香里の親友さんだもんっ。それってわたしの思いこみじゃないよね?」
「当たり前じゃない。あたしも名雪を一番の親友と思っているんだから…」
そうして二人は泣いていた。
自分の命と記憶を引き替えにしてまで、会いに来てくれる価値はあったのでしょうか。
「天野さん、今日の放課後って何か予定ある?」
クラスメートの一人が席に座っていた天野の傍らに来て、声をかけた。
「いえ、特には」
「それじゃぁさ、私達と一緒に帰らない?美味しい食べ物屋さんに寄るんだけど」
普段の天野だったら断っていたかもしれないが、何故かその時は二つ返事で一緒に行く事を了解していた。
「天野さんってさ、なんか落ち着いているって言うか、あんまり喋らないけど、人見知りする方?」
ショートカットでボーイッシュな感じの子が天野に話題を振る。
「いえ。あ、そうですね。人見知りが激しいのかもしれません」
ただ、親しくなった後の喪失感が怖い、とまでは天野の口からこぼれる事はなかった。
天野は無意識のうちにものみの丘へと足を運んでいた。
普段からあまり人がいる事は無い所だったが、その日に限っては先客が丘の頂にある大木のそばにいた。
天野はその先客に見覚えがあった。
「確か、相沢さんと一緒にいた事がある上級生の…」
「あははーっ。佐祐理は普通の子よりちょっと頭の悪い子ですから」
佐祐理は天野に一度微笑んだ後、ものみの丘の眼下に広がる景色に目を向ける。
「はぇ…難しい話はよく分かりませんけど、その子はきっと最後には幸せだったんだと思います」
天野には、どうして佐祐理がそこまで言い切れるのかが分からなかった。
「ただ純粋に会いたいと想った人と一緒にいられたんですから」
一弥も舞も、佐祐理の前からいなくなってしまいました。
楽しい時間(とき)の後には必ず、悲しい時間が待っている。
それは当たり前の事であって、当たり前すぎて、佐祐理は忘れたかったです。
本当は忘れてはいけない事ですが、悲しさを覆い隠してくれるぐらいに、その楽しさを、嬉しさを、佐祐理は見つめていたかったから。
その日は、普段よりも少し遠くへと散歩の範囲を広げていた。
ふと、子供の頃に話を聞いた、ものみの丘へ行こうと決めたのは偶然だったのだろうか。
「良い景色ですね」
佐祐理は眼下に広がる冬の街を見つめたまま、後ろにいる少女に声をかけた。
「相沢さんのお知り合いの方、ですよね?」
「あははーっ。祐一さんは佐祐理のお友達ですよ。貴女もそうだったんですか?」
「あ、はい。一年後輩の天野と申します」
佐祐理は大学の帰りに、今度から受けるセミナーの参考資料を探しに商店街の本屋を目指していた。
そこに今晩のおかずを買いに学校の帰りに寄っていた祐一と出会う。
「あ、佐祐理さん…」
「あははーっ。お久しぶりです。祐一さん」
「そろそろ、たい焼きの季節も終わりですね」
「はぇ。祐一さんはたい焼きがお好きなんですか?」
人差し指を唇にあてて、少し首を傾げながら佐祐理は祐一に問いかける。
「いや、俺が好きって訳じゃなくてさ、たい焼きが大好物の奴が俺の知り合いにいて…」
そう言いかけて、祐一は辺りを見回す。
「そういや、最近は見かけてないな」
「佐祐理は、舞と祐一さんに出会った事に感謝していますよ」
「なら、何故っ!」
そう言い募る祐一に佐祐理はいつもの調子で言葉を紡ぐ。
「あははーっ。それは祐一さんも既に分かっていると思います。目を背ける事が悪い事とは思いませんが、目を背けてはいけない時が、きっとありますから」
「奇跡…それは与えられるモノではなく、きっと自分の中から見つけるモノなんですよ」
親父達の説得は実に簡潔だった。
認めたくない現実を羅列されたら、まだ高校生である俺には何も言い返す事が出来なかった。
「名雪ちゃんも辛いと思うけど、私達も色々と考えてね。姉さんのこの家を引き払うかどうかは抜きにして、あなた達二人だけで、ここの生活を続けていく事は難しいと思うのよ」
「…」
話を振られた名雪だったが、全てを祐一の判断に任せる事に決めているのか、特に返事をするでもなく、俯いていた。
「祐一、ゆういちぃ〜っ!」
街をひた走ってきた名雪が祐一を見つけた頃には、日もすっかり沈み始めていた。
昼と夜が交わる一瞬の空を見上げると、少しずつ、少しずつ、雪が舞い降りてきている。
春は、すぐそこまで足音を立てて来ているのに、その雪はまるで過ぎゆく冬を名残惜しむ様に降り始めていた。
「祐一がいれば、わたしは笑えるから。まだ上手く笑えていないかもしれないけど。きっと前みたいに自然に笑えるようになるから。嬉しい時も、悲しい時も、楽しい時も、辛い時も、そばに祐一がいてくれれば、笑っていられるように頑張るから。わたし、頑張るから。だから…」
「名雪。ありがとう。ずっと好きだよ…」